東北ほんもの体験

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東北ほんもの体験

しし鹿踊り期間通年人数200名以内時間約2時間今から一千年余前?天歴5年(951年)9月16日=62代村上天皇の時代?鞍馬山附近に庵を建て修行していた京都東山の六波羅密寺の開祖である空也上人は、時折り庵の周囲に戯れ遊ぶ8頭連れの野鹿を殊の他可愛がっておりました。鹿は、空也上人になつき、そばを去りませんでしたが、ある日、このうちの1頭が心ない狩人の弓矢で射殺されてしまいました。上人は、哀れに思いこれを貰い受け埋葬し、その皮を村人に着せて鹿の遊び戯れる様に踊らせて冥福を祈り供養したのが「鹿踊」の始まりと伝えられています。宮沢賢治の童話に読む「鹿踊り」の物語り─鹿踊のはじまり?風が語った物語夕日の野原で疲れて「わたくし」が眠ると、「ざあざあ吹いてゐた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上(きたかみ)の山の方や、野原に行はれてゐた鹿踊(ししおど)りの、ほんたうの精神を語りました。」というように、この話も「サガレンの八月」などと同様に風の語った話に耳を傾けるというはじまり方をします。?鹿踊り鹿踊りは、大きな角のついた鹿の頭をいただく人たちが踊る伝統的な芸能で、6頭あるいは8頭の鹿が踊るという踊りが好きだった賢治は、この踊りから鹿の気持ちになりきるような精神のありようを感じとったのだと思われます。?湯治に出かけた嘉十小さな畑を開いて粟(あわ)や稗(ひえ)をつくっている嘉十は木から落ちて膝を悪くし、小屋がけして湯治をするために西の山の湯のわく所にでかける。太陽が西に傾くころ、芝草に荷物をおろして休み、栃(とち)と粟のだんごを出して食べる。?食べ残しの団子を鹿に置いていく食べ残した栃の団子を「こいづば鹿(しか)さ呉(け)でやべか。それ、鹿、来て喰(け)」と言って、白い花の下において歩きはじめる。しばらくして嘉十は手拭いを置き忘れたのに気づいて、もどってみるともう鹿の気配がするのだった。?鹿との交換すすきの隙間から息をこらして見ていると、6匹くらいの鹿が、環になって回っていて、その真ん中に嘉十が忘れた手拭いがある。鹿たちは、見なれない手拭いに何者だろうとこわごわ近寄ったり、逃げたりしている。「嘉十はにはかに耳がきいんと鳴りました。そしてがたがたふるへました。鹿どもの風にゆれる草穂(くさぼ)のやうな気もちが、波になつて伝はつて来たのでした。」という高揚した気持ちになり、嘉十には鹿の語り合いが聞こえはじめます。?夕日を見て鹿が歌うやがて、太陽がはんの木の梢の中ほどにかかると、鹿たちは一列に太陽に向いて、細い声で順にうたいだす。2番目の鹿の歌は「お日さんをせながさしよへば、はんの木(き)もくだげで光る、鉄のかんがみ。」25