東北ほんもの体験

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東北ほんもの体験

先人たちのルーツのまち「「僕雨風ニ僕のモマケズの前ニ後にモマケズ」ろ道はに道ないは出来資料撮影/佐藤進「われ太平橋と洋のならん」る」宮沢賢治[みやざわけんじ]宮沢賢治は花巻農学校で教鞭を執る傍ら、多くの詩や童話を創作しました。30歳で農学校を退職した賢治は独居生活に入り、羅須地人協会を設立。そこで農民講座を開設し、青年たちに農業を指導したりしましたが、昭和8年(1933)9月21日、37歳の若さで永眠しました。童話や詩で知られる宮沢賢治ですが、このほかにも教育者として、農業者として、さらに天文・気象・地理・歴史・哲学・宗教・科学・園芸・生物・美術・音楽など多彩な方面でその才能を発揮しました。昭和8年(1933)9月21日死去、享年37歳。彫刻家・高村光太郎[たかむらこうたろう]晩年を花巻で過ごした彫刻家明治16年(1883)東京生まれ。24歳の時にアメリカで彫刻を学び、以後ロンドン、パリ、イタリアで過ごし帰国しました。大正3年(1914)12月に長沼智恵子と結婚しました。しかし昭和13年(1938)智恵子が52歳で病没。昭和16年(1941)59歳で詩集、『智恵子抄』を刊行、大きな反響を呼ぶ。昭和20年(1945)5月知人であった賢治の縁を頼り花巻に疎開移住し、晩年の7年間を過ごしました。昭和31年(1956)、4月2日没。享年74歳。国際人・新渡戸稲造[にとべいなぞう]農学者・教育者・国際連盟事務次長も務めた国際人前五千円札に描かれた肖像画で知られる新渡戸稲造は、文久2年(1862)盛岡生まれ。38歳のときアメリカで書いた英文『武士道』は、日本文化の伝統の中に人類共通の道徳があることを世界に紹介しました。58歳、国際連盟初代事務次長となり、国際平和に尽力すると共に、ユネスコの前身である「知的協力委員会」を設立しました。花巻市内約8kmにわたって設定されている「新渡戸ロード」を歩くことにより、新渡戸稲造の父祖への思いをたどることができます。昭和8年(1933)10月15日没。享年71歳。花巻市の豆知識市名の由来「花巻」という地名を、作家の横光利一は「日本一うつくしい地名だ」と言っています。この市名の由来には諸説あり、昔、瑞光寺というお寺の近くで、渦を巻いて流れていた北上川に、桜の花びらが散って美しい渦巻になっていたことから「花巻」と呼ぶようになったという説が有力です。他には、アイヌ語で『川の下に開けた場所』という意味のパナマッケから花巻になったという説、この辺りにあった『花の牧』という牧場名から花巻になったという説、平安時代にこの付近に置かれたと考えられる磐基(ハンキ)駅がなまって花巻になったという説があります。花巻市のデータ(平成24年12月末現在)人口101,456人男48,268人女53,188人世帯36,106世帯面積908.32km 2市の花「ハヤチネウスユキソウ」黄色い花をつけるキク科の高山植物で、早池峰山の固有種です。厳しい環境に耐え美しく咲く姿は、自然と文化を大切に人々の交流を続ける花巻市を象徴しています。※白く見える部分は、花ではなくガクです。市の鳥「フクロウ」市内各地に生息し、柔らかい羽毛に覆われたフクロウ科の鳥です。フクロウは、知恵のある鳥、福を招く鳥として広く市民に親しまれており、安心、安全なまちを目指す花巻市にふさわしい鳥です。市の木「コブシ」他の木々に先駆けて花を咲かせ、拳に似た実をつけるモクレン科の樹木で、市内各地で見られます。大木に生長し、全体に白い花をつける様子は、花巻市の活力と躍進を連想させます。2