東北ほんもの体験

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東北ほんもの体験

こけしの絵付け期間通年人数4?250名時間約2時間すすまごでくのぼう?煤孫こけし(こけし工房木偶乃坊)─こけし工人煤孫盛造帯付き型白木地こけし(高さ18cm)に3色の絵付けをするもので、絵付けしたこけしは、各自の記念品となります。「煤孫こけし」は、祖父茂吉が台温泉の鎌田千代吉のもとで木地を修行、のちに盛岡の松田清次郎に弟子入りし、明治33年(1900)花巻へ戻り、独立木地業を始めて以来、父・実太郎・盛造と3代にわたって南部系伝統こけし(花巻系)を制作しています。無彩色で頭がクラクラ動くのが特徴で玩具として愛されております。インストラクター煤孫盛造さん心を落ち着かせて描くのがコツ。最初は眼、そして顔、頭、胴体と描いていって最後に日付と名前を入れると完成。きっと身近な人の顔に似ているよ。花巻のこけしの歴史文政4年(1821)11月に南部藩が作成した「諸御代官産物書上帳」に、花巻市の産物のひとつに「木地類」が有り、その産地は志戸平と記載されています。北上市和賀町竪川目こけし工人・佐々木覚平氏の先祖(昭和5年志戸平から移住)も、木地師のひとりでした。木地類は、木地師がロクロを使って作る椀類のことですが、こけしも乳幼児の玩具として作っていました。花巻地方ではこけしを木繰這子(きくらぼっこ)と称し、母親の乳房の代用であり、これをしゃぶらせると歯が生えるとか、虫封じになるとか言われていたものでした。明治に入ってから温泉場の土産品として作られるようになり、工人の交流も行われて描彩のこけしも作られるようになり今日に至っています。壁掛け傘づくり期間通年人数5?50名時間約1時間?花巻傘滝田工芸(工房)和傘直径約30cmの竹製の骨組みを張台にのせて糊(のり)づけをし、和紙を張り約30分間乾燥した後に折り目をつけ、頭の部分に被(かぶ)せ紙を紐で結ぶ作業です。※完成品は各自の記念品となります。享和年間(1801?1804)頃、肥後熊本の士族・千葉左近が流浪して来て糊口のために傘を製造したのが始まりで、これが微禄な花巻士族に広がり、明治維新後は自然に本職となったものです。大正、昭和と年々盛んになり最盛期には傘製造業者は48軒・職人68人を数え年産30万本に達し、花巻物産のひとつとなりましたが、時代の流れで需要が減少して次々廃業し、今日では滝田工芸のみとなっています。滝田工芸は、祖父・五郎八が明治38年(1905)士族傘製造・重茂光郎に入門し製法を修得、大正元年(1912)に独立したもので、以来父・信吉、信夫と伝統工芸を守り和傘の製造販売を行い、現在に至っています。◎作り方1傘の骨組み1本ごとに1センチ間隔でボンドをつける。21の上に絵がすでに描かれている紙をのせる。3骨と骨の間に折り目をつけていく。4骨組みの頭にかぶせ紙をつけて結ぶ。(結ぶ作業に苦戦する生徒さんが多い)5お土産用の箱に入れて完成です。20